学校の勉強、もっと頑張っておけばよかった。3700年前に置いてきてしまった宿題を悔やんでも仕方がない。
でも、あの時分からなかったことを分からないままにしておかなければ。分かろうと努力していれば。そうしたら、私の横で楽しそうに図面を仕上げてる男の子の話だって少しは理解できたかもしれないのに。

「ねー千空、私も今度からスイカたちと一緒に勉強しようかな。……良い?」
「なんだよいきなり。流石に字は書けんだろうが」

まーためんどくせえのが始まったと思ってるんだろう。こっちなんて見向きもしない彼の視線は、淀みなく紙へと引かれていく線を追い続けている。

「書けるけど……もっとちゃんと分かった方が良いなって。色々」

千空ともっとたくさんお話ししたいから勉強します!だなんて言えるわけない。

「あー、じゃあ今からすっか」
「えっ今から!?」
「つってもこれからすんのはほぼ仕事の説明だがな。現代の義務教育は済んでんだ、嫌でも覚えやがれ」
「ええ〜〜」

勉強すると言ったのは私だけど目標は千空の話を理解することであって、いきなり千空に教えてもらうのは想定してない。正直に言うと、子どもに優しい羽京先生にこっそり教えてもらって自信をつけてからにしようなんて甘いことを考えてたくらいだ。
思い付いたら即行動の千空にそんなの通じるはずなかった。

「じゃあ、よろしくお願いします」

その辺にあった紙を拝借してとりあえずメモの用意だけはした。聞いたことない鉱石の名前だろうと呪文みたいな名前の薬品だろうと受けて立ってみせる。

「そしたら始めんぞ、みんな大好き三角関数の時間だ」
「三角……関数……?」

どうやら私が学ばなければいけないのは化学じゃなくて、数学らしい。




明かりをつけないと手元が見にくくなるくらいには辺りが暗くなっていて、まあまあ長い時間千空に教わっていたのを実感した。学校の勉強で常に躓いてた私が数時間で三角関数をマスターできるはずもないのは置いといて、だ。

「今日はここまでにしとくか」

三角関数を使った測量は、大昔から使われていた技法だという。昔の人ってすごい。
これから本格的に始まる船の設計にも勿論使うらしく、実際動いてもらう人員にはこのくらいの知識があって損はないと千空は言っていたけど。

「サイン……コサイン……タンジェントッ……」

そんな千空先生の数時間に及ぶ教育で、私は腕を振りながら呪文を唱えるヤバめの人間へと変貌していた。

「いや下手な指揮者か」
「だって体で覚えた方が早いから」
「まあ覚える気があんならおありがてえ」
「……頑張るって決めたもん」

何回も千空の話を止めてしまったし同じ話を何回もさせてしまった。それでも彼は根気強く教えてくれた。一晩寝たら忘れちゃいましただなんて、絶対にイヤだ。

「あぁそうだ名前。テメーが今必死こいて覚えてるそれと、もうひとつ」
「ん?」

説明する時に図面に書いた三角形を千空がなぞって、つつく。
千空が指さしたのは三平方の定理。三平方の定理に、三角関数。今日だけで三角形のことばかり考えていて、夢にまで出てきそうだ。

「ここ、明日テストに出るから覚えとけよ」
「待って千空、テストあるの?」

頭を後ろから殴られたような衝撃。
忘れもしない。定期的に勉強のできない私を苦しめてきた言葉、それがテストだ。

「あぁ?真に受けんな、ただの冗だ…………いや、やる。テストは、やる」
「今冗談って言った!」
「い〜〜や、やる。せいぜい頑張ってお勉強するこった」
「そんなぁ」

悪魔みたいな顔で千空は笑っている。これ絶対に私の顔を見て決めたな、絶対にそうだ。
ここまで煽られたら、もうやるしかない。テストだろうと三角形だろうと受けて立ってみせる。
それに明日テストってことは、明日もこうして千空とみっちりお勉強ができるってことだ。それってもしかしてとてつもなくラッキーなんじゃないだろうか。
いきなりテストで満点取ったら「たった一日でやるじゃねえか!」なんて褒められちゃったりして……いやいや、そんなことは。

「何一人で百面相してんだ」
「あっ……と、とにかく頑張るから私。だからありがとね、今日付き合ってくれて」

本当は分かってる。千空から教えてもらった知識を実際に私が応用できるようになる頃には、もう船なんてとっくに完成してるだろう。それでも千空は、私の「教えて」に応えてくれた。

「そーいうのはいらねえよ。礼なんざ言うくらいなら明日のテストで満点取りやがれ」
「う、うん!満点取れたら続きも教えてね!」
「……テメーがんな勉強熱心だとは知らなかったわ」

早く戻って、今日やったことを復習しないと。今からだって遅くない。ちゃんと勉強して、千空が私に使ってくれた時間は無駄なんかじゃないよって私自身が証明するんだ。



2021.6.3 種蒔く人


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